篠懸の実

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Photo credit: agcox via Visualhunt / CC BY-NC

 

 

ふたたび僕を見つめる前

ほんの僅かな瞬間

あなたは宙を見つめる

僕は気づいた

見たことのない瞳

僕の問いに

瞬きをする間だけ躊躇った

その顔は哀しく美しい

僕の知らないあなた

手の届かぬあなた

 

 

あなたが失ったもの

失いきれなかったもの

自ら微塵の望みも認めないのに

静かに待ち続けてきたもの

誰も知らぬ湖の暗い底深く

今も小さな灯りをともし

無垢な音色を奏で続けている

あなただけが聴く旋律を

 

 

僕は畏れとともに舟を出す

湖面を撫でるように進み

暗い水の色に目をこらす

深く優しい靄に包まれ

何度も眠り

美しい哀しみに濡れながら

僕はその場所を目指す

 

 

僕は知っている

僕は畏れを忘れ

その音を抱きしめるだろう

その音を愛し

その音を沈めるだろう

もう二度と

あなたの耳に響かぬよう

 

 

漕ぎ出した僕に

気づいたはずのあなたが

僕に視線を移し

いつもの顔で笑う

僕はその顔が好きだ

 

 

僕から少し離れて

光の中に進んだあなた

髪を揺らしたまま足を止め

篠懸の青い実を手にした

注意深く見つめ

溜息とともに愛でる

あなたが見上げる先には

木洩れ日の明暗と

乾いた空気

 

 

確かな徴

あなたこそが光

僕の永遠

 

 

おどけて笑いかける僕に

その青い実を手渡して

あなたが楽しそうに笑う

僕たちは

ざわめく木々に身をまかせ

雀たちのお喋りに耳を澄ます

五月の風に撫でられながら

どこにでもあるこの場所で

あなたは何よりも美しい

僕はこの瞬間のすべてを

とこしえに胸に刻む

 

 

黒く青い水の底に

僕は静かに沈んでいく

いつか僕は

この湖底の真ん中に

居場所を見つけるだろう

そして誰よりも優しく

いつまでも歌うだろう

あなたがもう待たぬよう

あの音色を過去に置いて

僕はいつまでもあなたといよう

 

 

僕はあなたに触れ

あなたは僕に触れる

深く青い暗闇の中で

あなたもまた

歌い始めるだろう

あなたと僕は

繰り返し歌う

ひとつの僕たち

ただひとつの

終わらない歌

 

 

 

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