向こう側

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彼は寝ている。昼寝だ。

玄関も縁側も開け放して、畳の上に大の字だ。

飲みかけの湯飲みが転がり、手の側には団扇が転がっている。

このあたり、この家から5キロ四方には、人間はいない。

彼はただ、枕の下を流れる、小川のせせらぎに耳を澄ます。

そのまま眠ったのだ。

 

 

庭には犬が1頭と、猫が2匹いる。

犬は時々せわしなくウロウロしているが、

猫たちは、板間で体を冷やして眠っている。

彼らもまた、川の音を聴いている。

 

 

彼は俺だ。

彼は俺だったのだ。

だが俺は、都会の小さな部屋の隅で

汚い布団に縮こまっている。

彼女からはもう2週間連絡がない。

落ち着いたらという言葉を信じて待っている。

いや信じているかどうかは疑わしい。

俺は捨てられたと感じている。

でも彼女は捨てたのは俺の方だと言うだろう。

 

 

あの川の音に、本当はもうひとつの音があった。

彼女の寝息だ。

俺を胸に抱いたままぐっすり眠っている。

ふたりでつくった飯をむさぼってから

俺たちはお互いをむさぼる

そしてとうとう眠ってしまう。

眠ってはいけなかったのに。

向こう側に落ちてしまうのに。

 

 

望んでいたもの

いつも欲しくてたまらなかったもの

それが手に入らなかったからって

望みが嘘になるわけじゃないだろ

でも彼女は俺を詰った

だから俺はこの部屋にいる

暗がりでひとり

 

 

絶望と希望の間を隔てるものは

いったいなんだろう

絶望と希望の間を隔てるものは

いったいなんだっていうんだ

 

 

ひぐらしの声がする

他にも虫はたくさん鳴いている

遠くで獣も鳴いているみたいだ

俺の育てる草を食う憎いやつ

魚も水の中で体をぶつけあってる

屋根の上から葉が落ちてくる

 

 

どうしてこっちが希望だと?

どうしてそっちが絶望だと?

お前が眠る背中にかく汗が

畳の裏側に染み込んで

お前を引き摺り込む

向こう側に

いやこちら側に?

 

 

薄い皮膚の向こう側に

薄い皮膚のこちら側に

絶望と希望

絶望と希望

 

 

 


君はこれを決して読まないだろう。

読んだとしても気が触れたと思うだけだろう。

俺はただ悲しいだけだ。

悲しすぎるだけだよ。