Cactusの言葉 – 1

plants

ー植物であるCactusが人間に語りかけた言葉。

 

 

人間はどんなものにも名前をつけます。植物にだって見つけたものすべてに名前をつけていますよね。すべてを区別することで「せかい」を理解しようとするのは人間のすごいところです。

 

植物に自分と「せかい」の区別はありません。「わたし」も「あなた」もありません。だから「せかい」に責任を負わせられることも、「せかい」に責任を負わすこともありません。ここにいてもいいし、いついなくなっても構わない。

 

だから植物には人間のような痛みはありません。あなたたちが口にする植物の痛みは、すべてあなたたちを投影した比喩にすぎません。たとえば植物が手折られたとき、身体の破壊を感じ全身に伝えることはしますが、それは痛みではありません。

 

なによりも素晴らしいのは、いつまでもここにいても良く、またいついなくなっても構わないということです。それは風や水、光のようなものであり、やはり「せかい」が「わたし」で「わたし」が「せかい」であることなのです。

 

ただCactusは「せかい」に責任を負おうとしている人間が好きです。そういう人間は「せかい」と自分と区別しつつ、それが一体であることを理解しようとしていて、それこそが人間らしさだと思うからです。そうでなければ人間は「せかい」の悪しき一部でしかありません。

 

自分と「せかい」の区別にばかり囚われている人間は、自分と現在にしか関心はありません。現在の自分の快楽のために「せかい」や未来を壊すことに何の躊躇いもありません。

 

彼らは「わたし」や「あなた」という言葉をことさらに使います。彼らにとって大切なのは「せかい」と「わたし」、「あなた」と「わたし」の区別なのです。「せかい」や「あなた」は彼らに奉仕すべきものに過ぎないのです。

 

もしあなたが人間であるのなら、「せかい」と「わたし」を区別しているはずです。でも、ほんとうは「せかい」と「あなたに」に区別はないのだ、植物であるCactusとあなたもひとつなのだということに想いをはせてください。そして、区別ばかりを強めて「せかい」を壊すものと闘ってください。それは人間にしかできないことです。